お題の募集
たぬきの木屑ブログは、皆様からお題を募って書かれています。
たぬきに書いて欲しいことをこちらのフォームから投げ込んでいただくとありがたいです。よろしくお願いいたします。
その他についてその3(いちご大福、ult、骨格、クレーター)
その他についてその2(杉、株、愛)
その他について(かつおぶし、茶釜、手水場)
・かつおぶしについて
おぶしに勝つために作られた決戦兵器。現存するほぼ全てのおぶしに9:1のダイアグラムをつける。極めて強力でありながら、重さを極限まで削っており、まさにおぶしに勝つためのチューニングが施されている。
おぶし以外に対しては別に強くはないので、総じて弱キャラという評価だが、強〜壊れに位置するおぶしにほぼ確実に勝てるということで採用されることは大いにあり得るだろう。
・茶釜について
茶釜って二回くらいしか見たことないんですけど、茶道の人しか使いませんよねあれ。なんであんなものにたぬきが潜んでいると昔の人は思ったんですかね。だいたいなんですかぶんぶく茶釜のぶんぶくって。たぬきはぶんぶく鳴かねえよ。茶釜ももちろんぶんぶく鳴かない。ではぶんぶく茶釜とは何がぶんぶくなのか。このぶんぶくとは幻術なのではないか。幻術、すなわちたぬき。
・手水場について
ぼくああいう作法みたいなの結構好きで毎回守って左手洗って右手洗って左手に水入れて口に含んで吐いて左手洗って柄を洗って終わりみたいなのやるんですけど、あの柄杓とか水が出てくるとこ、どうみてもめちゃくちゃきたねえなと思うことあるじゃないですか。でも直前にその辺で海鮮丼とかいうハチャメチャに生臭もの食ってるし口ゆすいで清めないと神様にコラッて怒られるしどうしよう、みたいになった時ってどうすればいいんですかね? まあぼくは口ゆすぐんですけど。
嘘について
嘘のことを話す時、ぼくは饒舌になる。
これは「真実でないことを話す時、誤魔化そうとしていろいろ喋ってしまう」ということではない。嘘についていろいろ言いたいことがあるということだ。
もちろんそれは嘘で、嘘について話したいことなんか特にはない。当然それも嘘で、嘘について話したいことは少しだけしかない。この文章は嘘っぱちであり、もちろんこれも嘘八百である。
そろそろ真面目に話をしよう。嘘つきと不真面目は違う。
嘘の中でも一番明らかになりにくいものは、自己言及的な嘘だ。
自分はこういう人間です、という発言が嘘なのか本当なのかは、大抵はわからない。内心を推し量ることは誰にもできないし、できないのにも関わらず無理やりそれっぽいものをでっち上げたとしても、そもそもそれを本人にぶつけてどうなるものでもないからである。「私のことは私が一番よく知っている」と言われたら、そうですかと答えるしかない。
もちろんこれは嘘で、私のことを一番よく知っているのが私なはずはない。お前の目が身体の前についていることは明らかで、目が前についている以上お前が見ることができる範囲は身体の表側だけで、裏側まで見れる第三者の方がお前についてよりよく知っていると言えるからだ。これは高度な比喩表現であり、本当に目が前についているかどうかは関係がない。岡目八目。それでいいじゃないか。
自己言及的な嘘をなぜついてしまうのか。
これはまあ、大抵は、自己防衛の為である。直接認めてしまったら、重圧でぶっ潰れて死んでしまうような物事から目を逸らしてなかったことにした結果生じた齟齬を、無理やり埋めるために嘘は用いられる。嘘というのは大抵が短期的な一時しのぎなので、全体のバランスを見ている人からすると恐らく、語るまでもなくバレバレなのだろうな、と思う。
いっそバレてくれ、と思って嘘を繰り返す人もいる。そういう人は、これは自分でも自分の本心というやつがわからなくなっているのだ。自分の代わりに『きみの本心』はこれだよ、と規定してくれる人を探している。そういうことから目を背けているから、私は気分屋なの、とか私は嘘つきなの、みたいなどうでもいい嘘をつくことになる。いちいち自分の抱えている矛盾を説明するのに、新しい嘘をこさえる人間が嘘つきなものか。嘘つきはもっとテキトーに、何も考えないで嘘をつく。
自分にとって何が嘘で何が嘘でないのか、これは自明のように扱われていて、誰も教えてはくれないのだが、恐らく世の中の九割の人間は正しく線引きしようとさえしていない。嘘を飼い、慣らし、嘘を使えるようにならなくてはならない。それがすなわち、素直に生きるということなのだから。
鉄屑について
鉄屑は良い。ぼくは鉄屑が大好きだ。
金物工場などの近くには大抵ドラム缶が積んであり、その中には金属製の端材、ぐるんぐるんにねじれて縦ロールみたいになった鉄屑がたくさん入っている。そういう鉄屑の中からお気に入りの鉄屑を選び出しては、これは伝説の海中帝国が創り出したオーパーツなのだ、などといった逸話をくっつけてその辺に埋めて、掘り戻して遊んでいたものだった。
そんなぼくだが、別に特別ロボットものが好きというわけではない。昔は狂ったような鉄ヲタだったらしいが、5歳のとき車にぶつかって強く頭を打って以来、電車にまるで興味を持たなくなったらしい。ただ、アーマードコアは好きだった。敵を鉄屑に変えることが好きだったわけではない。ぼくはロボを駆り、空を飛ぶことが好きだったのだ。
果たしてぼくは、空を飛んだ。アーマードコア4……PS3、XBOX360で発売されたゲームだ。当時の次世代機初のアーマードコアシリーズの発売に、別にぼくはさほど興奮したりはしなかった。ただ、まあいつものアーマードコアだし買っとくか。そう思った。しかし4は、アーマードコア4は、いつものアーマードコアではなかった。
泥臭く、カエルのようにピョンピョコ小ジャンプを繰り返す移動がアーマードコアの世界では良しとされていた。移動方向が直線にならないため、敵の射撃武器を躱しやすいからだ。つまるところ回避行動とは、敵のお粗末なロックオン機能の穴を突くような動きをどれだけ連続できるか、といった受け身的なものであった。4は違った。クイックブーストボタンというとびきりクレイジーなそのトリガーを引くと、機体はハンマーでぶん殴られたようにものすごい加速で移動した。「見てから回避余裕でした」。敵の射撃を見てから避けられる。こんなすごいゲームが世の中にあったか?
アーマードコア4はシナリオも素晴らしかった。アーマードコアシリーズを遊んできたぼくは、言ってみれば老兵のようなものだった。そしてアーマードコア4の主人公は、伝説の古兵。旧世代兵器で無敵の男が、新世代の兵器に蹂躙され、敗北し、新たに新世代の兵器に適応しようとするストーリーだった。それはまさしく、旧シリーズから、アーマードコア4に適応しようとするぼく自身と重なった。ぼくは震えた。
気が狂ったようにのめり込んだ。己のイメージと、実際の動きをアジャストするため、何度も同じような動きを繰り返した。同じミッションを続けてプレイし、同じ敵を鉄屑に変え続けた。意のままに動くゲーム内の機体は、まさしく自分の機体だった。ぼくの機体。ぼくの鉄。ぼくは時速2000km/hで空を駆け、鉄屑を生みまくった。お前たちは全員鉄屑だ。鉄屑でなければラグアーマーだ。I'm thinker I could break it down〜
時は流れ、アーマードコアV(ファイブ)では、操作感覚がまたも一新されてしまった。ぼくは空を飛べなくなり、鉄屑を生む側から鉄屑になる側になって、コントローラーを床に置いた。
鉄屑という文字を見ると、そんなことを思い出す。
まえがきにかえて
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