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たぬきの木屑ブログ

なんでも書くたぬ

嘘について

 嘘のことを話す時、ぼくは饒舌になる。

 これは「真実でないことを話す時、誤魔化そうとしていろいろ喋ってしまう」ということではない。嘘についていろいろ言いたいことがあるということだ。

 もちろんそれは嘘で、嘘について話したいことなんか特にはない。当然それも嘘で、嘘について話したいことは少しだけしかない。この文章は嘘っぱちであり、もちろんこれも嘘八百である。

 そろそろ真面目に話をしよう。嘘つきと不真面目は違う。


 嘘の中でも一番明らかになりにくいものは、自己言及的な嘘だ。

 自分はこういう人間です、という発言が嘘なのか本当なのかは、大抵はわからない。内心を推し量ることは誰にもできないし、できないのにも関わらず無理やりそれっぽいものをでっち上げたとしても、そもそもそれを本人にぶつけてどうなるものでもないからである。「私のことは私が一番よく知っている」と言われたら、そうですかと答えるしかない。


 もちろんこれは嘘で、私のことを一番よく知っているのが私なはずはない。お前の目が身体の前についていることは明らかで、目が前についている以上お前が見ることができる範囲は身体の表側だけで、裏側まで見れる第三者の方がお前についてよりよく知っていると言えるからだ。これは高度な比喩表現であり、本当に目が前についているかどうかは関係がない。岡目八目。それでいいじゃないか。

 自己言及的な嘘をなぜついてしまうのか。

 これはまあ、大抵は、自己防衛の為である。直接認めてしまったら、重圧でぶっ潰れて死んでしまうような物事から目を逸らしてなかったことにした結果生じた齟齬を、無理やり埋めるために嘘は用いられる。嘘というのは大抵が短期的な一時しのぎなので、全体のバランスを見ている人からすると恐らく、語るまでもなくバレバレなのだろうな、と思う。

 いっそバレてくれ、と思って嘘を繰り返す人もいる。そういう人は、これは自分でも自分の本心というやつがわからなくなっているのだ。自分の代わりに『きみの本心』はこれだよ、と規定してくれる人を探している。そういうことから目を背けているから、私は気分屋なの、とか私は嘘つきなの、みたいなどうでもいい嘘をつくことになる。いちいち自分の抱えている矛盾を説明するのに、新しい嘘をこさえる人間が嘘つきなものか。嘘つきはもっとテキトーに、何も考えないで嘘をつく。


 自分にとって何が嘘で何が嘘でないのか、これは自明のように扱われていて、誰も教えてはくれないのだが、恐らく世の中の九割の人間は正しく線引きしようとさえしていない。嘘を飼い、慣らし、嘘を使えるようにならなくてはならない。それがすなわち、素直に生きるということなのだから。